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5000年前、人類はお茶と出会った

お茶を最初に口にしたのは誰でしょうか? 古代中国の神話では、今から約5000年前、医薬と農業を司る神「神農」が、人々が食べられる植物を調べるために山野をかけめぐって野草を試食した末、一日で72種類もの毒にあたり、そのたびに茶の葉を噛んで毒を消したと伝えられています。 これが、人類がお茶に親しむきっかけだったといわれています。また、お茶が「薬」として飲まれるようになった原点でもあります。

 

世界最古の茶書『茶経 』 
中国のお茶についての確実な記録は、紀元前1世紀(前漢時代)にさかのぼります。それから約800年たった760年ごろ(唐時代)、世界最古のお茶の専門書『茶経』が 、陸羽(733?~804年)によって著されました。『茶経』には、お茶の製造方法、茶道具、飲み方、産地などが書かれていて、このころには中国でお茶が広まり、定着していたことがうかがわれます。

 

日本にお茶を飲む習慣が伝わったのはいつ?
日本でお茶を飲んだという歴史上の最初の記録は、『日本後紀』 という歴史書にあります。そこには、815年4月22日、近江(滋賀県)の梵釈寺(ぼんしゃくじ)で、永忠(743~816年)というお坊さんが嵯峨天皇(在位809~823年)に茶を煎じて献上した、と記されています。
このように、今から1200年も前にお茶が飲まれた記録があることから、日本のお茶の歴史はたいへん古いことがわかります。

日本の古代のお茶の記録は、9世紀前半(平安時代初期)の嵯峨天皇の時代に集中しています。このころ活躍し、比叡山延暦寺を開いた最澄 (伝教大師、767~822年※イメージ画像)宛てに弟子が書いた手紙には「お茶を10袋もいただき、ありがとうございます」と書かれています。

高野山金剛峰寺を開いた空海(弘法大師、774~835年)は「お茶を飲みながら中国の書物を見ることにしている」などの文章を残しています。最澄と空海は遣唐使に従って唐(中国)に行った経験がありました。
また、永忠は唐に約30年も滞在しました。唐では760年ごろに『茶経』が書かれるなど、茶を飲む習慣が広まっていましたから、日本にお茶を伝えたのは、このころに唐に行ったお坊さんなのかもしれません。しかし、この後はしばらくの間、お茶の記録が少なくなります。鎌倉時代に栄西(ようさい)が宋(中国) から再びお茶を伝えるまで、あまり飲まなくなっていたようです。

 

日本の茶文化の礎を築いた「栄西」
栄西(ようさい/えいさい、1141~1215年)は日本のお茶の発展に大きく貢献した重要な人物です。臨済宗の開祖で、鎌倉時代初期の1191年、中国の宋から当時中国のお茶の飲み方だった「抹茶法(まっちゃほう)」を携えて帰国しました。その際に茶の種子を持ち帰り、各地にまいたのが、日本に茶を広める原点となったといわれています。
さらに栄西は1211年、お茶が健康にいいという内容の日本最初の茶書『喫茶養生記(きっさようじょうき)』を著し、1214年、将軍だった源実朝に献上しました。この時、実朝は二日酔いで気分が悪かったのですが、栄西が献上したお茶を飲んだところ、すぐに治り、実朝は大いに喜んだといわれています。
栄西は日本茶の「茶祖」ともいわれ、茶産地の静岡県島田市の牧之原公園には大きな栄西の像が建っています。

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